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横浜地方裁判所 昭和54年(タ)95号 判決 1983年1月26日

原告 丙川花子または乙山花子こと 甲花子

右訴訟代理人弁護士 内山辰雄

右訴訟復代理人弁護士 山崎明徳

被告 丁田春夫または乙山太郎こと 戊松夫

右訴訟代理人弁護士 金田賢三

同 金田英一

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  被告から原告に対し別紙物件目録(十一)記載の建物及び同建物の敷地賃借権並びに金八〇〇万円を財産分与する。

三  被告は原告に対し右金員を含めて金一〇〇〇万円及び内金二〇〇万円に対する昭和五四年六月三〇日から、内金八〇〇万円に対する本判決確定の日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを五分しその四を原告の負担としその余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項と同旨。

2  原告と被告との間の長女乙山春子こと戊春子(昭和三九年九月一七日生)、長男乙山一郎こと戊一夫(昭和四一年九月二一日生)及び次女乙山夏子こと戊竹子(昭和四三年三月二〇日生)の親権者を原告と定める。

3  被告は原告に対し金六〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年六月三〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告はいずれも韓国人であるが、原告は出生の時から、被告は一八、九才の時韓国を離れてから現在まで日本に居住している。右両名は昭和三八年三月頃見合により知り合って同棲し、昭和三九年七月一四日横浜市中区役所に婚姻の届出をした。

2  原告と被告との間には、昭和三九年九月一七日長女乙山春子こと戊春子、昭和四一年九月二一日長男乙山一郎こと戊一夫、昭和四三年三月二〇日次女乙山夏子こと戊竹子がそれぞれ生まれた。

3  ところで、原告と被告との間の婚姻関係には次のような離婚原因がある。

(一) 被告は結婚以来原告に対する思いやりが全くなく、生来の独善的、自己中心的な気質もあって、原告との夫婦関係は次女竹子出生以後次第に冷却化し、昭和四七、八年頃から被告が夫婦の交わりを拒むようになって形だけのものになり果ててしまった。

(二) 被告は原告に対しささいなことで悪口雑言の限りを尽くし、又さしたる理由もなく暴力を振るったことが数回あり、就中昭和五三年一月一二日には原告の頭部をガラスの灰皿で強打し、約二週間の加療を要し六針を縫う頭部挫傷を負わせた。

(三) 原告は昭和五四年二月一日被告を相手方として横浜家庭裁判所に婚姻関係調整の調停の申立をしたが、その直後から被告と別居し、同調停も同年六月八日不成立となった。

(四) 原告及び前記三人の子どもの生活費は、原告所有名義の建物の賃料収入(一か月金二二万五〇〇〇円)を被告が取立て、そのうちから原告に支給される金一八万円をもって賄われている状態である。そればかりか、被告は原告と三人の子どもらが居住する被告所有名義の別紙物件目録(七)、(八)記載の土地建物(以下同目録記載の土地建物をその番号に従い「(一)の土地」等という。)を第三者に売却して明渡を迫った。

(五) 右事実は韓国民法第八四〇条第二号(悪意の遺棄)及び第六号(婚姻を継続し難い重大な事由)に該当する。

4  親権者の指定

原、被告の間の子ども三人は原告を慕っており、かつ被告の残酷、冷淡な性格、ほとんど住居に寄りつこうとしない生活態度に照らし、被告は父親としての適格を欠くので、子どもの福祉幸福の観点から原告を親権者に指定するのが相当である。

5  慰藉料

原告は被告の前記行為により筆舌に尽くし難い精神的苦痛を受けたのであり、これに対する慰藉料は金三〇〇〇万円を下らない。

6  財産分与

(一) 原、被告の結婚以後蓄積された財産のうち被告の所有となっているものは(一)の土地(時価金三一一八万一九九〇円)、(二)の建物(時価金一二〇〇万円)、(三)の建物(時価金四〇〇万円)、(四)の建物(時価金二五〇万円)、(九)、(十)の土地建物(時価合計金二〇〇〇万円)及び(三)、(四)の各建物の敷地約三〇坪の借地権(時価合計金二一〇〇万円)、(五)ないし(八)の各不動産を昭和五四年三月二九日岩本光男に売却して得た金四八〇〇万円である。

(二) ところで、原告と被告は結婚して約半年後に、原告が被告に調理の技術を教えて横浜市中区宮川町にラーメン屋を始めたのを皮切りに、その半年後には同区曙町に焼肉屋を、次いで昭和四七年頃から西区藤棚により規模の大きい焼肉屋を出して、その間に右財産を蓄積したものであり、右財産の蓄積について原告の寄与は極めて大きいといわねばならない。

(三) 又、被告は現在不動産賃貸収入を含み月額金三〇〇万円を下らぬ収入を得ているが、一方原告は三人の子どもを扶養して今後生活してゆかねばならない。

(四) 以上のとおりであるから、被告が離婚に際し原告に分与すべき財産は金一億円を下らない。

7  よって、原告は被告に対し、離婚及び前記子ども三人の親権者を原告に定めることを求め、かつ慰藉料内金一〇〇〇万円、財産分与内金五〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達による請求の翌日である昭和五四年六月三〇日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  請求原因3冒頭の事実は否認する。(一)、(二)の事実は否認する。(三)のうち原告主張の調停が不成立になったことは認め、その余の事実は否認する。(四)の事実は否認する。被告は現在原告に対し生活費として毎月金一八万円を渡す外、米、しょう油、果物等の食料品を別途に買い与え、子どもらの学費、衣類代も別に支給して不自由のない生活をさせており原告を悪意で遺棄したことはない。(五)の主張は争う。

3  請求原因4、5は争う。

4  請求原因6について。(一)のうち被告が(一)ないし(四)の不動産を所有していること及び(五)ないし(八)の不動産を岩本に売却したことは認め、その余の事実は否認する。(一)、(二)の土地建物には横浜商銀信用組合のため極度額金二五〇〇万円の根抵当権が、(三)の建物には姜徳実のため債権額金五〇〇万円の抵当権がそれぞれ設定されており、それぞれ原告が主張する程の価値はない。又、(五)ないし(八)の不動産の売却代金は、その一部を、既に被告が銀行に対して負担していた債務金三〇〇〇万円を岩本光男に引き受けてもらう費用に充当し、残金を既に右岩本に対して負担していた債務金一七〇〇万円と相殺したので、被告の手取は皆無であった。

(二)ないし(四)は争う。特に(四)の建物は、被告が原告と結婚する以前から所有していた不動産を売却し、その代金をもって買い受けたのであり、その取得について何ら原告の協力を得ていない。

三  被告の主張

1  被告は原告と結婚した後初めはラーメン屋を、後に焼肉屋を経営し、日夜営々として生業にはげみながら、原告や子どもらを養ってきたのである。しかるに原告は昭和四五年頃から近所の主婦達と花札やポーカー遊びにふけるようになり、昭和五一年頃からは毎夜のようにバーやホストクラブに遊びに出かけ、帰宅は深夜に及び時に朝帰りをするなど妻としてまたは一家の主婦としてまことにふしだらな生活をしているのである。従って、原告が被告に対して離婚を求めることはできない。

2  本件離婚請求事件については韓国民法が適用されるべきところ、同法第九〇九条第五項によれば、離婚した妻は前婚姻中に出生した子の親権者となることはできないのであるから、原告を前記子ども三人の親権者に指定することはできない。

3  又、同国法は離婚に際しての財産分与を認めていないのであるから、原告の財産分与の申立は認められるべきではない。原告は財産分与を認めないのは公序良俗に反すると主張するが、前記のとおり夫たる被告は、未成年の子どもらの親権者としてこれらを養育監護していかねばならないのであるから、原告に財産分与を認めなくとも公序良俗に反するということはない。

四  右3に対する原告の反論

財産分与を認めない韓国法は明らかに諸外国の立法のすう勢からみて遅れているうえ、原、被告が戦前から日本国に居住し、又将来においても同国において生活を営むものであり、被告名義の財産の維持蓄積について原告の寄与するところが大きかったことに照らせば、本件において財産分与を認めないことは日本国の公序良俗に反すること明白であるから、法例第三〇条により韓国法の適用を排し日本国民法を適用し財産分与を認めるべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、原告(国籍 韓国)と被告(国籍 韓国)は、法例第一三条及び民法、戸籍法の規定に従い、昭和三九年七月一四日横浜市中区長に対し婚姻の届出をした夫婦であることが認められる。

二  《証拠省略》を総合すれば次の事実を認めることができる。

1  原告は昭和一〇年九月一五日名古屋市で生まれ、一度結婚したがその後離婚して横須賀市内で兄甲梅夫の営む中華ソバ屋を手伝っていた。被告は大正一二年六月一日韓国で生まれ、昭和一五年頃我国に渡米して目白商業学校に入学し、昭和一九年同校を卒業し、終戦後川口市で小間物屋を営んだが経営が思わしくなく、昭和三四年これを売却して横浜市に転居し、同市中区黄金町(以下の町名はいずれも横浜市内)と同区曙町で大衆酒場と小料理屋を営み、昭和三七年八月六日黄金町の(三)の建物(但し、鉄道の高架下で敷地の賃借権はない。)及び同区扇町四丁目一二番五所在の居宅(木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建、一、二階各二二・七七平方メートル、以下「扇町の建物」という。)を購入してこれを他人に賃貸していた。

2  原告と被告は昭和三八年三月下旬頃見合して結婚(但し、昭和三九年七月一四日届出)し、中区弥生町のアパートで同棲生活を始めた。二人の間には、昭和三九年九月一七日長女乙山春子こと戊春子、昭和四一年九月二一日長男乙山一郎こと戊一夫、昭和四三年三月二〇日乙山夏子こと戊竹子がそれぞれ生まれた。

3  被告は昭和三八年秋頃黄金町の大衆酒場の営業権を売却し、その代金で中区宮川町に中華ソバ屋を開店し、原告も兄のもとで習い覚えた調理の技術を生かして被告と共に店で働いた。そして原告は夜八時か九時頃帰宅したが、被告は午前二時頃まで働き、帰宅するのは午前三、四時頃であったので、二人が家庭において共に過す時間はほとんどなかった。そのような状態は長男長女出生後も同人らの世話を原告の妹に委ねて続けられた。

4  被告は中華ソバ屋を営業する傍ら、昭和三九年七月一六日扇町の建物を売却し、その代金で昭和四〇年一月一七日黄金町の(四)の旅館及びこれに隣接する同規模の旅館(以下これらを「(四)及び隣接の旅館」という。但し、いずれも鉄道の高架下で敷地の賃借権はない。)を購入し、更に昭和四一年一月一八日中区英町の(五)、(六)の土地建物を購入し、右建物を他人に賃貸するなどして事業を拡張したが、それに伴いますます多忙となった。

5  その後被告は昭和四一年一二月頃中華ソバ屋をやめ、曙町の小料理屋の営業権を売却した代金で同町内で借家して焼肉屋を開店した。原告は右開店当初は店で働いていたが、昭和四二年次女を懐妊した頃からこれをやめ、家事に専念するようになった。被告は原告が店をやめてから前にも増して仕事に励み、昭和四四年頃には金融業にまで手を出すようになったが、多忙の余り右焼肉屋の店舗に泊って帰宅しないことが度重なるようになった。それに加え、昭和四三年三月二〇日次女出生後被告は原告との夫婦の交わりを避けるようになり、二人の間は徐々に疎遠になり、原告はこのような被告の態度に不満を抱くようになった。

6  被告は昭和四六年三月一五日西区東ヶ丘の(七)、(八)の土地建物を購入し、原告ら家族と共に移り住んだ。被告は同年一二月六日曙町の焼肉屋の営業を甲梅夫に無償で譲渡し、前記中華ソバ屋の営業権の売却代金、前記不動産の賃料収入及び銀行からの借入金で右居宅の近くの藤棚町に(一)、(二)の土地建物を購入して焼肉屋を開店した。その頃から被告は毎日帰宅するようになったものの、それは夕食をとる為と午前二時頃までの営業を終えた後午前四時頃就寝の為に帰宅するにすぎず、しかも原告とは夕食時もほとんど会話を交わすことがなく、寝室は別にして夫婦の交わりを全く避け、原告を疎んじた。また、被告は家事に専念する原告に対しねぎらいの言葉をかけるでもなく、却って原告の兄弟や母が居る前で、原告の些細な不都合をとり立てて長時間にわたって悪しざまにののしるなど配慮を欠いた言動をとったため、原告は被告との婚姻生活に耐え難い思いを抱くようになった。

7  被告はその後昭和四九年六月二日黄金町の(十一)の建物(敷地賃借権付)を代金三〇〇万円で購入し(但し、原告名義で所有権移転登記を経由した。)これを他人に賃貸した。

8  原告は現住所に移転してから被告との間が疎遠となるなか、憂さ晴らしに、毎週土曜日の夜子どもらを寝かしつけると深夜まで隣家の主婦らと花札遊びにふけるようになり、更に昭和五一年頃からは深夜男友達らと飲み歩き、朝方帰宅することも度々あった。被告は原告のこのような生活態度を苦々しく思い、自ら及び甲梅夫を通じて注意を与えたこともあったが、原告の態度は一向に改まらなかった。被告は時には腹を立てて暴力を振るうこともあり、就中昭和五三年一月一二日には飲酒の果て正体のない原告を見て憤激し、ガラス製灰皿で殴りつけ、六針を縫い二週間の加療を要する頭部挫傷の傷害を負わせた。しかして原告の気持は被告から全く離反し、昭和五四年一月原告は被告の留守中居宅に男友達を招き上げ、これを発見した被告から難詰されたこともあった。

9  原告はこのような生活に耐え切れず、仲人を交えて被告に離婚を申し入れたが、被告がこれに応じなかったので、昭和五四年二月横浜家庭裁判所に対し被告を相手方として婚姻関係調整の調停を申し立てたところ、被告はその直後右居宅を出て前記藤棚町の焼肉屋の店舗に寝泊りして別居生活をするようになった。被告は別居後も従前のとおり原告に対し、生活費として一か月金二二万五〇〇〇円(但し、昭和五五年頃以降一か月金一八万円)を渡す外随時食料品を、また必要に応じて子どもらの教育費を渡しており、月に二、三回位右居宅に子どもらを訪ねている。そこで原告と子どもらの生活は物質的には不足のない状態にある。

10  被告は昭和五三年三月末日岩本光男(以下「岩本」という。)から金一七〇〇万円を、昭和五四年三月八日横浜商銀信用組合から金三五〇〇万円を借り受けた。被告は同年二月一〇日岩本に対し(五)、(六)の土地建物並びに原告及び子どもらが現に居住している(七)、(八)の土地建物を代金四八〇〇万円で売却し、同日手附金一〇〇万円を受領し、代金内金一七〇〇万円と岩本に対する右借受債務とを相殺し、残代金三〇〇〇万円については、右信用組合に対する右借受債務の内金三〇〇〇万円を岩本が引き受けたので、同人に対して生じたその弁済費用支払債務と相殺した。その後原告は岩本から電話や手紙で二、三回右居宅からの立退を求められたが、これを拒否した後は立退要求を受けていない。

11  被告は現在焼肉屋の営業により一か年金約九〇万円、(三)の建物の賃料一か月金八万五〇〇〇円、(四)及び隣接の旅館の賃料一か月金三〇万円、(二)の建物の賃料一か月金一八万円(右賃料合計一か月金五六万五〇〇〇円、一か年金六七八万円)、以上合計一か年金約七六八万円の収入を得ている。一方原告は見るべき資産はなく、収入もない。

《証拠判断省略》

三  ところで、本件離婚の準拠法は、法例第一六条によりその原因たる事実の発生した当時における夫たる被告の本国法である韓国法によるべきである。

原告は、被告が原告を悪意で遺棄した(同国民法第八四〇条第二号)と主張するので検討する。

前項の認定事実によれば、被告は原告及び子どもらを残して家を出て別居生活を継続し、しかも原告及び子どもらが現に居住する居宅を岩本に売却したのであるが、被告は右別居後も原告に対し、生活費として一か月金二二万五〇〇〇円(但し、昭和五五年頃から一か月金一八万円)を渡す外随時食料品を、また必要に応じて子どもらの教育費等の費用を渡しているので、原告と子どもらの生活は物質的には不足がない状態にあり、また、岩本と被告との間でどのような合意がなされたか不明であるが、原告は岩本から電話や手紙で二、三回右居宅からの立退を要求されたが、その後そのような要求を受けておらず、現に右居宅に居住を続けているのであるから、右事実のみによっては未だ被告が原告を悪意で遺棄したということはできない。

しかしながら、前項の認定事実によれば、原告と被告の別居生活は既に三年を超え、原告はもはや婚姻生活を継続する意思を失っており、被告も、その本人尋問(第一回)においては婚姻生活継続の意思がある旨の供述をするものの、それは若年の子どもらに母親を失なわせるのが不愍であるとする理由からであって、原告に対する愛情に根ざしたものとは認められない。けだし、被告が、子どもら及びこれと同居する原告の生活に対する物質的な配慮はともかく、原告との性的及び精神的結合を含む真の夫婦生活を回復するための努力を払っている形跡は見当らず、却って自ら家を出て別居生活を継続しているからである。従って、原、被告の婚姻関係はもはや回復の見込のない程決定的に破綻しているということができる。

そこで、右婚姻関係が破綻するに至った原因について考えるに、昭和四六年頃以降原告が夜遅くまで花札遊びに興じ、朝方まで飲み歩き、又被告の留守中に自宅に男性を招き入れる等ふしだらな生活態度をとったことは非難されても止むを得ないところであり、被告がこれを苦々しく思ったのも首肯し得ないものではないが、原告の右不行跡も、遡れば、被告が仕事に熱中する余り、昭和四三年次女出生以後は原告との夫婦生活を疎かにしかつ原告に対し配慮を欠いた言動をとったため、原告の愛情が被告から次第に離反していったことに原因があるのであって、破綻の責任は主として被告の側にあるというべきである。そして右事実は韓国民法第八四〇条第六号にいう婚姻を継続し難い重大な事由に該当し、しかも民法第七七〇条第一項第五号に該当するということができるから、右事由の存在を理由として被告との離婚を求める原告の請求は理由がある。

四  そこで、親権者の指定について検討する。親権者の指定は離婚の効力に関する問題であるから、離婚の準拠法である韓国法によるべきところ、同国民法第九〇九条第五項は父母が離婚した場合母はその前婚中に出生した子の親権者となることはできないと規定し、離婚後の未成年者の親権者を父と法定して、裁判所に対し離婚に際しての親権者指定の権限を付与していないから、当裁判所は親権者を指定することはできない。

もっとも、右韓国法を適用して親権者を父である被告とすることが我国の公序良俗に反する場合は、法例第三〇条により右法条を適用しないものとする余地がないではない。そして前記認定事実によれば被告は現在家を出て子どもらと別居生活を継続し、原告が子どもらを養育しているのであるが、他方、被告は子どもらを養育するのに十分な資力を有し、別居後も月に二、三回は前記居宅に子どもらを訪れ、生活費の外必要に応じて子どもらの教育費等を渡す等しているのであり、《証拠省略》によれば、被告は子どもらに対する愛情は失っておらず、自ら子どもらの親権者となることを望んでいることが認められるし、この事実に前記認定の原告の生活態度をも考え併わせると、被告を親権者にすることが我国の公序良俗に反するということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

五  慰藉料請求について検討する。離婚に伴う慰藉料請求は離婚の効力の問題であるから、離婚の準拠法である韓国法によるべきところ、本件婚姻は主として被告の責任により破綻したのであるから、同国民法第八四三条、第八〇六条により被告は原告に対し離婚による精神的損害を賠償する義務がある。そこでその額について勘案するに、前記認定の被告の原告に対する冷遇、原告の不行跡、婚姻生活の期間、その他本件訴訟にあらわれた諸般の事情を総合すると、右慰藉料の額は金二〇〇万円をもって相当と考える。

六  次に財産分与について検討する。

1  第二項で認定した事実の外《証拠省略》を総合すれば次の事実を認めることができる。

(一)  被告は、昭和三八年三月原告と結婚した当時小料理屋と大衆酒場を営み、(三)の建物(敷地の賃借権なし)及び扇町の建物を所有してこれを他人に賃貸していたが、現在、昭和四六年一二月六日購入の(一)、(二)の土地建物、(三)の建物、昭和四〇年一月七日購入の(四)及び隣接の旅館(敷地の賃借権なし)、昭和四九年六月二日購入の(十一)の建物(敷地賃借権付)を所有し、(二)の建物において焼肉屋を営み、(三)の建物、(四)及び隣接の旅館、(十一)の建物を他人に賃貸し、岩本から昭和五三年三月末日金一七〇〇万円、横浜商銀信用組合から昭和五四年三月八日金三五〇〇万円をそれぞれ借り受けたが、岩本からの借受金と右信用組合からの借受金中金三〇〇〇万円合計金四七〇〇万円の返済は(五)ないし(八)の不動産の売却代金が引当となっており、その外被告は右代金中金一〇〇万円を現実に受領したので、結局被告は(五)ないし(八)の不動産の処分により金四八〇〇万円を取得したこととなり、他面、信用組合に対して金五〇〇万円の返還債務を負っている現状にある。

(二)  被告の右現有財産の形成維持については、被告の勤労及び婚姻前から有した特有財産の活用によるところが大きいが、原告も結婚後昭和三八年秋頃から昭和四二年までの間、被告経営の中華ソバ屋及び焼肉屋において調理技術を生かして被告に劣らず働き、営業収益の取得に直接寄与し、その後家事に専念して三人の子どもの養育に当るようになってからもこれにより間接的に右財産の形成維持に寄与をしたものとみるべきである。もっとも(三)の建物は被告が婚姻前から所有していた特有財産であり、(四)及び隣接の旅館も被告が婚姻前から所有していた扇町の建物を売却した代金で購入したものであるから、原告はその取得について寄与したとはいえないが、右のとおり婚姻期間中被告に協力しその維持のために寄与したということができる。

(三)  ところで、(一)の土地の昭和五六年度の固定資産税評価額は金五〇〇万二一一九円、(二)の建物のそれは金一七四万五八〇八円であり、また右建物には保険金額一二〇〇万円の店舗総合保険が掛けられているが、右土地建物について元本極度額金二五〇〇万円の共同根抵当権が設定されている。(三)の建物の同評価額は金三八万四五七九円であり、右建物には保険金額金四〇〇万円の火災保険が掛けられているが、債権額金五〇〇万円の抵当権が設定されており、他に賃料一か月金八万五〇〇〇円で賃貸されている。(四)の建物の同評価額は金三八万五六一五円であり、右建物には保険金額金二五〇万円の火災保険が、隣接の旅館には同金六〇〇万円の店舗総合保険が掛けられているが、元本極度額金三五〇〇万円の根抵当権が設定されており、隣接の旅館と共に他に一か月金三〇万円で賃貸されている。

以上(一)ないし(四)の各土地建物の時価は少くとも各担保権の極度額もしくは約定被担保債権額と同額以上と認めて差支えないが、いずれの被担保債権も現存額が明らかでなく、一応全額が存在するものとみるほかないから、静的観察においてはこれら各不動産の実質価値は左程大きくないものとしなければならないが、これらの不動産を基盤とする事業の継続を前提とする動的観点からはかかる評価方法はとり得ないところである(もっとも、その適正な価額を算定すべき資料はない)。なお、原告は(一)の土地の時価立証のため地価公示表を提出するが、同表記載の土地と(一)の土地との具体的関連性を認めるに足りる証拠がないので、同表記載の価額により(一)の土地の価額を推認することはできない。

(十一)の建物(借地権付)は昭和四九年六月二日代金三〇〇万円で購入されたものであるところ、現在他に賃料一か月金一八万円で賃貸されている。

原告は被告が(九)、(十)の土地建物を所有していると主張し、《証拠省略》によれば、右土地建物の登記簿謄本には、被告がこれらを昭和五五年一二月二二日売買によって取得したことを原因として同月二三日所有権移転登記が経由されたこと、右土地建物の不動産取得税申告の催告書、昭和五六年頃固定資産税等の納税通知書等の用紙が被告に送付されてきたことが認められるが、《証拠省略》によれば、右土地建物の所有権移転登記は錯誤を原因として同年二月二六日抹消登記がなされていることが認められ、このことと、《証拠省略》によれば、前記事実のみをもって被告の所有権取得を認めることはできず、他に原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2  ところで、財産分与請求は離婚に伴う慰藉料請求と同様に離婚の効力に関する問題であるから、離婚の準拠法である韓国法によるべきところ、同国法は財産分与請求権を認めていない。

しかしながら、第二項で認定した事実によれば、原、被告は共に韓国人であるが、原告は出生の時以来、被告は昭和一五年以来婚姻期間を通じて我国に居住し今後もこれを継続していく予定であって、その経済生活は我国の法律秩序に従って規律せられるのが相当と考えられること、原告は年令既に四七才に達しているが、特に資産を有せず、離婚後の就職には種々の困難を伴い、将来生活に困窮することも予想されること、1で認定したとおり、被告の現有資産の形成維持には原告の協力も与って力があったことに照らせば、本件の場合婚姻解消に伴う夫婦共有財産の清算並びに離婚後の配偶者の扶養たる実質を有する財産分与を全く認めないことは、我国における婚姻に関する公序良俗に反するものというべきであるから、法例第三〇条により韓国法の適用を排し法廷地法である我国民法を適用するのが相当である。

そこで分与すべき財産の額について考えるに、右1で認定した右財産形成維持についての原告の寄与の程度、右財産の内容、価額、これを基盤とする被告の事業の現況、(十一)の建物が原告名義で所有権移転登記がなされていること、第二項で認定した原、被告の年齢、離婚後の生活能力並びに被告が離婚後子どもらの養育にあたること等を考慮すると、被告から原告に対し(十一)の建物及び同建物の敷地賃借権並びに金八〇〇万円の財産分与をするのが相当である。

七  以上によれば、原告の離婚請求は理由があるからこれを認容し、慰藉料請求については金二〇〇万円及びこれに対する訴状送達による請求の翌日である昭和五四年六月三〇日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、被告から原告に対し(十一)の建物及び同建物の敷地賃借権並びに金八〇〇万円を財産分与し、被告に対し右金八〇〇万円及びこれに対する本判決確定の日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払うことを命じ、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤安弘 裁判官 小田原満知子 太田和夫)

<以下省略>

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